著 者:スタニスラウス・エリク・ステンボック伯
Stanislaus Eric Stenbock, Count of Bogesund
原 題:Hylas
底 本:Studies of Death. Snuggly Books, 2018.
初 出:Studies of Death. David Nutt, 1894.
リンク:[Internet Archive]
余は牧童ダビデの絵を画くつもりであったのであるが、夫の偉貌に適しい摹本を何処にも覓められずにいた。「雪白に茜さす」太王の天性の風采を、或は詩篇をものす人の天来の霊性を具える者など何処にもいなかったのである。或る日、余が河上に舟游びをしている折、将やはた長きに亙って覓ぎ来った顔と驀地に出会した。渠は齢三五程の少童で、フランネルを衣て、独り小さな中洲の岸辺に泊てた舟の中にいて、絵を画くのに専念していた。「これは幸いだ」と余は惟った、「会話の緒口としちゃ恰度好い口実じゃないか」、それで余は渠の方へと舟を漕ぎ寄せ、自分は絵描きである旨を告げつつ、渠が何を画いているのか訊ねた。渠は美貌を赩らめながら、余へ夫の絵を眎せてくれた。言うまでもなく余は素人の仕りがちな凡庸な風景画を予想していた。だが何うだろう、余は慥かに川縁にいるヒュラス、そのヒュラスに対って腕を伸ばすニンフの容子が美麗に画かれた線画を看てとると心底驚いた。渠は背景には中洲の樹々や藪を真実やかに写し取っていた。ヒュラスは渠自身のなかなかに悪からぬ肖像になっていた、が取り分け余の驚きはニンフの貌が余自身の近作「セイレーン」の瞭らかな引き写しであることにあった。斯かる絵は最近ラングトンという教授に売り払っていたものであった(余は当の教授の赤貧ながらに示したる拙作に対する真正の熱狂によって、頃来「流行」が惹起せられたのを以て余の諸作を作者たる余への崇敬に価する一端の「作品」と考える江湖の実の無い賛意を甦らせたことを承知していたがために、極く廉価で譲ったのであった)。余は渠の絵を褒めると共に、一二の缺点を指摘してやって、それから紙と鉛筆を藉り、宜しく夫の線画を添削してやった。少童は漸次強まりゆく熱意を以て眽々と注視し、終には甚く貌を赩らめて呟いた。「お名前を教えて下さりませんか?」
「僕の名はゲイブリエル・グラインドだ」余は答えた。
「嘻々、僕は恆々貴男の御作のことを考えているんです。お察しの通り、貴男の絵が何時も僕にとって特別な魅力をお有ちです。父が何枚も有っているものですから、線画は幾干もあるのですが、絵画は僅か一枚きりで、「セイレーン」と名けられているあの絵から僕は引き写して画いたんです。父を必とご存知でしょう、何時か父は貴男の工房に見学へ伺っています」それから、なおも一層と頰を紅潮させ、「僕も貴男の工房へ見学に伺わせてはもらえませんか?」
「勿論可いさ。けれど此方こそ頼みたいことがあるんだ。「牧童ダビデ」のモデルになってはくれないだろうか。汝の口振りからすると汝はラングトン教授のご令息だ。違うかね? 汝の洗礼名は何というのかね?」
「あの、ライオネルです」渠は簡潔に云った。「僕は父と二人暮らしなんです。僕はもしか貴男のお気に召す摹本なんでしょうか、貴男の工房を見学させては頂きたいのですが、でも何故と云って貴男は僕なんかがダビデに適しいようにお考えなのか判り兼ねるのですけれど」
説明は然して難しくないにせよ、余を困惑させるような渠の話し風りには直き少年性と、そして教養とが綯交ぜになっていた。余等は同に舟を進めた。余は路傍にあった金銀花に蔽われた古宿で渠に紅茶をやって、それから渠を父親の処へ連れて徃った。渠は道すがら身の上話をしてくれた。渠は教授の一人息子であること、学校には全く行かずにいること、父親が自ら万般に及んで教育していること、同い年の友人がおらぬこと、独りで遊んでいること。渠は乗馬や舟遊びや遊泳が好きで、射撃や釣りは厭いで(妙な話だが、余の嫌悪する処と同じである)、しかし渠が何より愛するのは線画や絵画の制作であった。絵画きを学んだわけでは決してなかったが、それでも渠は物心著いた比から絵を画いていた。渠の父は万事に通じていながらも、絵だけは画けず、それでも絵画を愛好し、とは云え愛息を美術学校その他へ入れようとはしなかった。其様な風なことを渠は語ってくれた。余には渠が巷の同年代の少年達に較べて正しくよくよく教養のある風に看えて仕方がなかったが、さはさりながら現実へ無頓着な様子が、それでも、時を同じくして、家常茶飯の事柄に対する或る種の純朴と無垢とを示していた。
ラングトン教授は余に最大限の謝意を示してくれ、極めつけに晩餐まで滞在することとなった。氏は息子を寝床まで送り届けると、教育についての考えを詳らかに説いてくれた。語る処に拠れば学校の類を快く惟っていないようだった。寄宿学校など嫌悪の対象でしかないが、昼間学校については、ひょっとすると、必要なものかもしれない。「しかし私の場合」と氏は云った、「幸いにもそうではないから好いものの、それにしても、我が子を教導出来なければ教授職なんぞに何の益がありましょうか?」
扨て、このような話の最後に、余はライオネルを摹本にすることを話し了え、一つの素的な空想を氏に投げ掛けたのだが、余は氏を睹るにつけていよいよライオネルが藝術院に通うことが宜しからぬように惟えてきていたのである。ともすれば少年にとって美術学校の生徒とする凡俗な会話の中で普通に育つことはさしたる害では無いのかもしれないが、しかしライオネルに――この最と珍らかなる花にとっては――余は斯かる想像に打ち慄えた。余はこれまで弟子を有ったことなど無く、独りでいることを企望し、学びの場を創ろうなどと考えたことは絶えてなかったというのに、ライオネルは既う我が学舎の一学徒となっていた。其様な次第で余が渠を学費不要のたった一人の弟子として迎えることを申し出たところ、父親氏は篤く謝意を示したという訣である。
*
齢を襲ねるごとに、余は渠に頗る熱心に線画や着彩について教授した。ひょっとすると余は渠に些しばかり余の個人主義を吹き込み過ぎたかもしれない。余は屢々独り北叟笑んだものだ、「これじゃ恰でレオナルド・ダ・ヴィンチとサライだ。未来の批評家諸氏は真作の「グラインド」であるか否か論じることだろう」。余はこれらのことからライオネルに想像力や創意が缺落しているということを謂わんとするのではい――むしろ反対に、渠は、以前余が述べたように、工られたのではない、生まれ著いての「天才」であり、藝術家なのだ――渠の制作技術が余のものに依っているなどと云いたいのではない、ばかりか、余は渠が余の限界をも超えてしまうのを期んでさえいたのだ。
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ひとは或る者を誰か別の或る者へと紹介するなどという恐るべき重荷に気著かずにいる。十有る中の九までは別段何も起こりはしなかろうが、縡も十に至っては生涯の吉事となるか凶事となるかの転換点となり得るものだ。而るにそれと謂うのは余がライオネルをジュリア・ゴア-ヴィア夫人へ引き合わせた折のことである。余が渠を紹介すると云った時、余としては其様なことはするつもりもなかったのであり、夫人と余とで工房で紅茶を飲んでいた処へ、ライオネルが、余はその日河へ出掛けているものとばかり惟っていた渠が、ゆくりなくもやって来たのだ。吁々! 紹介せざるを得ないではないか。
ジュリア夫人は二人の亭主がいたがためにゴア-ヴィアなる名を負っているのであるが、亭主は両人共に存命元気にしており、離婚裁判における幾干かの椿事を歴ても、法手続き上ゴア氏かヴィア氏かの名を負うべき処を決裁し得ず、ために夫人は躬らに両氏の姓を負わしめることによって斯かる紛諍に終止符を打ったのである。夫人の過去に何があったのか余には与り知らぬ処であるし、訊いてみよう気だも無い――余自身には何ら関わりの無いことなのだ。関わりのあることと云えば夫人が余の絵を買ってくれるということのみだ。夫人は慥かに余にとってライオネルに会わせるのを好く惟わぬ人物であった。夫人は最とも妍麗な最とも聡明な女であり(余が聡明と云うのは単に聡く明るいなどということを謂わんとするのではなく、本当に教養のあることを謂う)、夫人は藝術について語っている時など実に能く自らの語る処を熟知していた。偶の癇癪を除けば、別段害は無いかに看えた。ライオネルは夫人のことなど全く知っていなかった。夫人が渠に興味を有ったのも何ら奇異な処はなかった。而るに渠は稚い怡びを以て夫人へ下絵を眎せてやり、恰度、前述したような、曾てのように、夫人は論評し褒め唆し、渠等は頗る睦まじげであった。
余はずっとライオネルを子供と思っていたし、渠が今や大人になっていたことに毫も気著かずにいたのだ。ジュリア夫人の齢を知って驚くのは、何も余に限らず世間一般に有り得ることであって、夫人は実際よりも余りにも若々しく看えるのである。さはさりとて、渠等は幾度も会っていた。或る日ライオネルが云った、「ジュリア夫人は貴男の「セイレーン」の絵に何て肖ているんでしょう」。余はいつも藝術家は摹本を顔に獻げ、顔は摹本を藝術家に捧げるのだと主張していた。余はそれまでの間にも多くの絵を画いており、「セイレーン」のことはすっかり忘れてしまっていた。今から振り返れば「セイレーン」は全く想像に基づく顔なのであって、全然摹本から採ったものなどではなかったのだが、ライオネルから、夫人が「セイレーン」に似ていると云われたことには懦いだ。それから余は初めて渠と出会った日に観た渠の線画を想い出した。不愉快な感情と朧げな恐怖が余を懊ませた。余は更に具に渠を観察した。そして真実が余の頭上に閃いた――渠は夫人との望ましからぬ愛のさなかにいるのだ。夫人はこの上も無く渠の情を煽り立てていたのだ。それまで見向きもせずにいた余は何と愚かなのだろう、万事につけ保護者を気取っていたこの余は。
否やはや、これでは全くの無益ではないか、渠の生涯の破滅ではないか。何れ丈け犠牲を払おうとも余は渠を守らねばなるまい。もしかすると渠を玻璃の櫝へ鎖じ籠めてばかりいた、この余の方がずっと間違っていたのかもれない。もしか渠がより多くの経験をしていれば斯くも急激かつ完全に惑溺することも無かったのかもしれない。吁々、あの妖女の何と不埒であることか! 余は忿怒し歯を軋った。あの女は全体斯くも悲憐れなる少童をなも生贄と仕得べきであったとでもいうのだろうか? 渠はあの女にとって何だというのか? だがそれでも、ひょっとすると、あの女は自らの為したる害悪に気著いていないのかもしれぬ。余が徃ってあの女を諫めてやろう。余の知る限りあの女にしても何も薄情者というのではない。
そのような次第で翌る日には余は夫人を招び出し、些か不躾ながらも出抜けに本題に入った。「何故」と余は云った、「貴女はあの憐れな少童の人生を破滅させるようなことをするのですか? ご承知の通り余が云うのは――ライオネルのことです。必と貴女にとっては恋人でも何でもないのでしょう?」
余が烈しく捲し立てると、夫人は穏やかに答えた、「貴男は何をお訊ねなのでしょう? 極く簡潔な根拠をお答えしましょう。第一、妾は渠に嫉妬しています。第二、妾は些度でも貴男が妾を気に掛けてくれているのかと案じています、それから妾は貴男にやきもちを妬いてほしいと念っています、それから最後に、妾は貴男のことが好きなんです」
余はすっかり呆気に取られてしまった。暫しの間全く口も利けずにいた。やがて余は口を開き、「貴女の、余を好きだという言葉が、本当なのであれば、少なくとも余からすれば唯一の――つまり渠を援けるという」と云った。夫人は易わらぬ穏やかな口振りで答えた。「難事に打ち克つ唯一の方法でしょう」。余は一語とて無く出て徃った。
当夜中余は微睡ともせずに、考え込んでいた。「難事に打ち克つ唯一の方法」。余は何れ丈け犠牲を払おうとも渠を守ろうと云いはしたが、この余自身が生贄となろうとは。それでも我意の無い動機かもしれぬ処へ、我欲に盈ちた考えが避け難く混じり込んでいるかもしれないではないか。余は、結局、生贄も然程悪からぬ。難事を脱するに比較的容易な方法であると考えた――慥かに夫人を十分好いてはいるし、余の工房の集まりを曾てよりも更に大きな規模にしようと考えれば、家に女手が居た方が如何にも都合が好いだろうと惟った。それから余は、再び克己の裡に、夫人に対して善事を為そうと考えた。余が我が姓を与えることで夫人の世評を再興させればひとびともあの女がゴアだかヴィアだかいう名を冠していたことを忽ち忘れてしまうだろう……。ライオネルにしてみてもすぐに自らの立場の不条理に気が著くだろうし、無論余の嬬を愛するなどとは考えなくなるだろう。
それから余はジュリア夫人に手紙を書き、ゴア-ヴィアなる曖昧な名からグラインドの名に更える気はあるのか訊ねた。夫人は余の提案を最とも悦ばしいものである旨、さはさりながら余の筆遣いに幾許の心配りが有り得るのではないかとの返信を寄越した。
縡が済むまでの間、件の話を余躬らライオネルに伝えに徃くことが出来ずにいたのであるが、幸いライオネルは翌る日には独り徒歩での旅に出ていたのであった(渠はそうするのをこよなく好んでいた)。遅延する由とてもなく、ロンドンで婚約などせぬ方が可かろうという、明白な訣もあって、余はパリで市長を前にして婚約する手筈を安穏として調えて仕舞った。結婚式を了えると余は意を決してライオネルへ手紙を書いた。余は色々の文体を以て幾枚もの手紙を書いては破りして苦心した。漸く余は軽薄で滑稽な文体とすることで解決をみた。曰く、「小生は乃今巴里に居ります処、先生は小生の伴れ合いが果して誰と思し召しでしょう? 先生には必とお分かりになりますまい――ジュリア・ゴア-ヴィア夫人なのです、尤も夫人の姓はゴア-ヴィアではなく、グラインドなのです、夫人は小生と結婚したのですから。扨て先生には変わらぬお付き合いを頂きたく、是非これまで同様ジュリア夫人とお呼び付け被下度存じます」
この手紙に返事は無かった。余は重要のこととは幾んど思い著かなかった。「無論」と余は考えた、「先ず渠だって些しばかりいじけるだろうが、直ぐに気を取り直すだろう、渠持前のユーモアの性情が夫の躬の可笑しみに気著かせる筈だ」
嬬に対して何か云うひともあるかもしれなかったが、嬬以上に愛嬌のある旅の供連れは有り得ないだろう程に、何時も余を愉快にさせてくれるばかりか嬬自身も愉しげにしており、怜悧な論評を加えていた。実際、もしか余がひっきりなしに心に徂徠するライオネルのことで案じたりすることがなければ、太く愉しめたに相違あるまい。
読者諸氏はもし余が嬬の過去が必ずしも画かれた程には黔くはないということに余が気が著いて残念至極に惟っていると云って理解して下さるだろうか? 実に、嬬は罪人よりも悠かに罪深かったのだ。輒ち、余が惟うに、倒様の我欲なのだ。英雄を気取った色欲なのだ。余の英雄的自己犠牲は何だったのだ? 唯だ、これまで他の誰も愛することのなかった余を、心から余を愛してくれる、可愛い嬬を娶っただけのことではないか。余はライオネルへ宛てて再た手紙を認めた――長々と、余達がこれまでずっと過ごしてきた場所、ひとや何処かの下絵の散乱するあの場所を闊達に描写した手紙を。これ再た余は返事を受け取ることは無かった。だがそこから余が手紙を送ったのはライオネルが最後に滞在していると惟っていた然る郊外の地であったから、余は渠が手紙を受け取っていないものと結論付けたのであるが、ともすれば渠は宛先さえ報せずにいるのかもしれなかった。
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我々が漸く家に着いた頃、余はライオネルが渠の父の処に居ることを知った。余は次のような短文を送った、迺ち「吾貴下トノ面会ヲ所望ス。今夕来ラレタシ。返事ヲ待ツ」
返事は終ぞ来なかった。だが夜になってライオネルは独りでやって来た。
ライオネル? と余は云った。「これがライオネルなのか?」。渠はすっかり変わってしまっていた。渠にあった若さと快活さとが全く抜け切っていた。歩いて来たというより寧ろ自らを引き摺って来たかのようであった。完全に蒼褪め、悄然、至極意気を阻喪し疲弊しきっているようであった。余は何も気著かずにいるかのように粧おうとした。
「やあ、ライオネル」と、余は上辺ばかりの上機嫌を以て云った。「この頃汝は何をしていたのかね?」。渠は気怠げに、感情の無い声で答えた、「絵を画いていました」
「絵か? 何の絵だね?」
「明後日にはお目に掛かれましょう」渠は変わらぬ且つ懶げ且つ単調な調子で云った。
「坊や、何があったんだい? 何故余を避けたままなんだい? 何故余の手紙に返事をくれないんだい?」
「そのご質問に答える必要は全く無いかと思います」と彼は云った。
「そんなことはない、訊かせてくれ――教えてくれないか」余は渠に両手を伸ばし摑み掛かって、叫んだ。渠は部屋の反対側へと退がると、哀惜に盈ちた声で云った。「貴男が僕から僕の愛していたものを全て奪ったんだ。まさか貴男のことだったなんて。勿論貴男のなさったのは全く無理からぬことですけど、でも、それでも、先ず僕に教えてくれてもよかったのに」
「汝の愛していたもの全てというのは?」余は云った。
「吁々! 貴男以外の全てだ、貴男は僕の貴男への愛を殺してしまわれたのです」渠は幾んど泣き叫ぶようにして、そう云った。
「しかし、ライオネル、聴き給え。余はあの嬬を愛してなどいない」
「弁明のつもりなのですか?」渠は猛然と言い募った。「貴男が弁明する程度で僕が貴男を赦せればいいのかもしれません。でも僕には出来ない」
「だけど聴き給え、坊や!」余は叫んだ。「聆いてくれないか。余が愛しているのは嬬などではなく汝なんだ。汝を援けるために余が夫人と結婚して汝を凡る破滅から護ろうと惟ったのだ」
「可怪しな愛情表現で僕の心を打ち摧いたんだ」渠は先程から易わらぬ生気の無い声で云った。「さようなら」それから渠は余を振り返ると、左手を差し出した――その手は余りにも冷たく、やがて渠の脇へと弱々しげに垂れ下げられた。渠は再び向き直ると扉を開けたのだが余にはそれが永遠に漂い付き纏う無言の咎めのように看えた。
*
翌る日余は朝刊を取ると、次のような記事を目にした。
水浴中の痛ましい事故
昨日――島(余が初めてライオネルと出会った中洲のことだ)附近に、若き男の遺体が発見せられた。遺体の身許は、岸辺に残置せられていた衣服より、即座に其将来を嘱望せられて居った若き藝術家ライオネル・ラングトン氏と特定せられた。外套の裡よりカード及手紙類の収められた手帖が発見せられて居る外、又氏は斯地住民には馴染みと有り、現場近辺にて水浴を屢々行っていたとの由。水泳を得意とせし氏の溺死は強烈なる衝撃を惹起して居ると云う。水死の原因は突発的の痙攣と見られて居る。氏の父親であるラングトン教授は、電信を受けると、深甚たる悲しみに打ちのめされた。子息に就て近頃は酷く落ち込んで居たと証言せられた。氏は体調が優れず可成沈鬱として居ったものの、教授には原因が判らぬとの事、猶振舞には異常な様子が見られて居た。
余が記事を碌に読まぬ裡に、扉が激しく叩かれ、二人の男が絵を運び込んで来た。余はこれまでライオネルの手からそれほど素晴らしいものを眎せられたことなどなかった。唯々素晴らしかった。川床に横わるヒュラスが、水の向こうに画かれていた。ヒュラスの貌は余が初めて渠に出会った時の渠の肖像であったが、曷うしてか眼ばかりは余が最後に会った渠の表情を表しているようであった。ふと観れば、水面に映り込んでいるのは、余自身の貌であった。余は跳び上がって、鏡で自分の顔を確かめた。何様な予知によって渠は余が夫の訃報を耳にしながら此様な風にして絵を観ることを知ったというのだろう?